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短文:エクリチュールにおける手紙の性質について

 角川書店から出版された『ランボオの手紙(祖川孝訳)』を読んだ。ランボーではなくランボオと綴ることからも察しがつくだろうが初版は昭和26年と古く異体字が多い。収録されている手紙は1870年から1875年まで、およそ文学史上最も早熟な詩人の一人が文学と訣別するまでに出したものである。交流のあった修辞学の教授イザンバール氏に宛てた手紙(見者の手紙として有名なもの!)では「貴方はわたしにとって教授者ではありません」と生意気に講釈を垂れたかと思えば詩人は文壇の大先輩テオドール・ド・パンヴィルに宛てて「わたしは18歳です。パンヴィル先生の詩なら、いつまでも好きです。昨年は、まだやっと17歳でした! 進歩しましたでしょう!」と可愛げのある後輩を演じて見せる。他にも詩人は方々に生活費の工面や逗留先の郵便局に局留めで何かを送れだのと頼んだり、彼を一人ロンドンにおいていったヴェルレーヌに「帰って来てくれたまえ」と切望する様子を——おそらく図らずも——今日に伝える。

 この本以外で僕の本棚にある手紙らしいものといえば光文社から出ているセネカ*1の『人生の短さについて』くらいかもしれない。役人仕事に追われて人生を浪費する知人に職を辞め、もっと重要なことに目を向けるように訓える手紙「人生の短さについて」、流刑地に流されたセネカの不運を嘆く母を励ます手紙「母ヘルウィアへのなぐさめ」などが収められている。セネカはそこで親愛なる送り先の人柄や事情を念頭に置いて筆を進める。それはもちろん冒頭のランボーであっても同じである——その結果手紙に認められる文言がどれだけ隔たっていたとしても。

 「送り先の人柄や事情を念頭に置いて」という当たり前のことをわざわざ書いたのはエリクチュールにおける手紙の性質を書き留めておくためである。岩波文庫から出ているがオルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』の「フランス人のためのプロローグ」で人間のコミュニケーションの困難性——よりペシミスティックに言えば不可能性——に触れつつ、「万人に向かって話す」ことに疑義を呈する。彼は言語活動を発信者と受信者の対話と述べ、それぞれがそれぞれの像に思いを寄せることのできるかぎりにおいて良書とみなす——彼にとっては出版物も対話的態度を基礎に据えるものである*2。本来フランス人を念頭に書かれたものではないと彼は断りながら添えられるプロローグはそれだけで小冊子が作れそうなほどである。僕はこうした彼の書き手としての態度が好きである。

 文学研究の中でも作者研究に重要性を置くアプローチでは一次資料に基づいて作者の関心の仮説を立てて読み物の解釈に方向性を与えようとする。「作者の意図」というものである。散文よりも両義的であったり明晰なロジックに還元されなかったりする詩の方がこうした作者研究の恩恵を受けやすいだろう。

 ただ、ランボーが手紙の中でさまざまな表情を見せているようにある文学的解釈、理論の牽強付会として手紙を用いることには慎重になりたい。ゴフマン流の社会学ではないが手紙の相手との場において人格が存在するのであって、それは必ずしも作者としての人格と一致しているとは限らない。

 今日、局留め郵便の預かり期間は10日間らしいが意識の保存期間は場合によってまちまちである。まちまちであるが時には妥当性を持ちうるので研究の甲斐があるとも言えるのだが。

 手紙の性質——あるいはエクリチュールの対話性——と作者研究の話が交錯してしまった。小説、詩、その他雑文においてそれぞれ書き手が想定する読者は何であろうかという関心について手紙はいつも一つの理念型として示唆を与えてくれる。

*1:セネカは紀元1世紀の人間だがこの当時の手紙がよく今にも残っているなと思う。同時代にキリスト教(というより原始キリスト共同体)が生まれているが、新約聖書福音書のオリジナルと思われるものは残っていない。パピルスで書かれた資料のほとんどは風化してしまうからだ。運良く残ったパピルスの資料も多くが断片的なものである。なのでおそらくこの手紙はパピルスより保存性の高い羊皮紙に書かれたのだろうか。

*2:特に広報で叫ばれるビジネス用語ペルソナ・ターゲット設定もこうした理論・考えかたを応用できるかもしれない。