becauseofthe3のブログ

ブログという名の文体練習

「授業参観シンドローム」と「飲食店の喫煙所シンドローム」

 友達にもいろんなタイプの人がいる。ある人の場合、普段は僕に気を遣ってくれているのか言葉遣いも優しいが、僕の他に初対面の人がいると僕に悪態をつくことがある。人見知り故にテンパってしまうのか、何なのかはわからないがそういう場面でチクリと言われると多少傷つく。「そこまで言わなくてもいいじゃん」と言いたくなったり、普段との差に戸惑ってしまう。ただ、そう言わせているのはある程度僕自身の振る舞いなのだろう。自分ではわからないが、他の人がいることで僕自身の振る舞いもいつもの友人に対してのものとは変わってしまっているのかもしれない。そう考えるといつもと違う僕にかける言葉がいつもと違うのは当たり前だ。

「こいつ、変な奴だから」

「この人、全然大したことしてないですよ」

 「うちの愚息が」「うちの愚妻が」みたいなものに通じるのだろうか。だとしたら一種の礼儀正しさなのだろうか。二人きりで会うことの多い人と他所のコミュニティに行って変な感じになる現象を「授業参観シンドローム」と呼びたい。

 今度は少し別の話だが、同じコミュニティにいる人と喋っていると共通の知り合いの噂話になることがあり、それがあまりいい趣味と思えずやめたいと思うことがある——つい話してしまいなかなかやめられないのだが。本当は最近見た本や映画の感想とか、今頑張っていることの詳細を話したり聞きたい。

 時々詩のコミュニティで詩論を浴びることがある。必ずしも内容に共感するわけではないが、たまにはそういう熱量が心地いい。ただ、そういう人とも毎日のように会うとつまらない会話をする関係になるのだろう。つまらない会話をするくらいならたまにしか会わなくていいと思うのは極端だろうか。コミュニティを同じにする人と毎日会うことでつまらない会話に陥ってしまうことを僕の経験上「飲食店の喫煙所シンドローム」とでも名付けておく。「授業参観シンドローム」はともかく、「飲食店の喫煙所シンドローム」は自分も会話に参加している事実が僕を辟易させる。

 どうも、疲れているのかもしれない。いろんな人と一緒に動いて映画を撮り終えたばかりだ。「授業参観シンドローム」もあったし、「飲食店の喫煙所シンドローム」もあったかもしれない。撮影は楽しいこともあり大いに刺激になったが、体力的にも気力的にも疲れはあった。そんな状況だからこんなことを考えるのだろう。