becauseofthe3のブログ

ブログという名の文体練習

あの夏、あの部屋での生活

 今年もうんざりするような暑さがやってきた。死にたくなるほど美しい青空に入道雲が立ち込める。運転免許を持たない僕は空調の効きが悪い車の後部座席からそんな油絵のような空を眺めている。

 出不精な僕にも夏の思い出はあって、何もかもがどうでも良くなるこんな晴天に思い出す友人がいる。18歳の頃に地元の予備校で出会った同い年のOというやつだ。垂れ目で、中肉中背。170cmの僕よりほんの少し背が高かったかもしれない。入道雲のように白いユニクロのTシャツにジーンズを合わせていた、気もする。

 県内一の進学校出身の彼とは共通の友人を介して顔見知りになった。小学校のスイミングスクールで一緒だったと言われればそんな気もするような顔を彼はしていた。眠たそうな一重瞼にサラサラの髪が七五三の子供のようなカット。大きい本屋に行けば店員に一人はいそうなやつだった。

 知り合いの知り合いに過ぎなかった彼は僕に変なあだ名をつけようとしていた。「君は多分ノンポリだからノンポリと呼ぶ」みたいなことを言っていた。実際には2回くらいしかそう呼ばれなかった。

 その頃の彼は音楽熱が高まっていた。彼はロックを、僕はジャズを聴いていた。まだ僕たちの周りでは音楽ストリーミングサービスが盛んではなかったので彼は50年代のオールディーズと呼ばれるようなロックの古典や60年代のプログレッシブ・ロックのCDを買い集めていた。

 聴かされたのか、僕が貸してと言ったのか、彼のCDを借りて聴くようになった。その時にPink FroidのMeddleというアルバムを借りた。彼はアルバムを貸す時に「このアルバムのジャケット、体の一部をデザインしているけど、返す時にどの部分か当ててみて」と言った——「ネットで調べるのとかは無しで」と付け加えながら。

 僕がCDを返した後、「ジャケットにパスタソースが付いていた」とクレームを受けたのを覚えている。音楽という共通の話題ができてから、僕たちは知り合いの知り合いではなくなった。当時、僕は予備校から徒歩数分のアパートで一人暮らしをしていた。和室の1K。階層は4階か5階だった。「今いる?」といったメッセージが来る。彼が部屋の前に来る。僕は彼を部屋に上げるようになった。一人暮らしを始めたばかりで不健康な生活。その罪滅ぼしにと常飲していた野菜生活を訪れる彼にも提供していた。

 サボりがちだった予備校に行くと僕は彼が昼飯を抜いて貯金に充てているのを見た。「マンドリンを買う」と言っていた。それからしばらくして彼は僕の部屋にマンドリンを持ってきた。ある時は新品のハーモニカも見せてくれた。

 Oはトレモロアームのついたメキシコ製のストラトキャスターを持っていた。荷物なはずなのに時々彼はそのギターを担いで僕の部屋で弾いた。どういう事の運びか忘れたが、僕もベース一式とアンプを買って部屋に置くことになった。フェンダージャズベース。結構いい値段した気がする。

 僕にベースを真面目にやる気があったのはほんの一瞬で、彼の方がよっぽど僕のベースを弾いていた。貼りっぱなしにしていたボディの透明な保護シートを剥がしたいと彼は言っていた。

 部屋にアンプが置かれたことで彼のストラトキャスターも活き活きとした音色を奏でるようになった。畳の部屋には洗濯物干しと本棚、彼が来る時だけたたまれた寝具、そしてアンプとベースギター。僕たちは酒を飲まなかったので野菜生活を片手に予備校をサボった。

 当時の僕は実家と折り合いが悪かった。彼も実家にはほんの少し思うところがあったのかもしれない。あるいは僕に話を合わせてくれていたのかもしれない。彼の親は医者だった。Oの二人の兄は有名大学に通っていた。母親にそうした兄たちと比べられるのが嫌だとほんの少し言っていた気がする。一人っ子の僕はあまりその感覚がわかってあげられなかった。

 僕は春夏の時点で相当に予備校をサボりまくっていた。彼も結構サボっていたと思う。夕方を僕の部屋で過ごすことも多かった——あんまり早く帰ると親に怪しまれるからだろうか。

 ビートルズにWith the Beatlesというアルバムがある。モノクロに4人の顔が大きく写っているジャケットだ。僕たちはそのジョン・レノンの顔が大きいと言って笑っていた。彼はRubber Soul というアルバムも持ってきた。その中の一曲、「Nowhere Man という曲が君にはいいよ」と言って僕に貸した。僕はDrive My Car という曲の方が好きだった。

 彼は近くのインドカレー屋に行きたいと言っていた。食わず嫌いの多い僕は約束を先延ばしにしていた。そのうちに彼は一人で食べに行った感想を話していた。暑くて何もする気が起きない夏だった。カレーを食べるなんてもってのほかだった。

 ある時、彼が買い物がしたいと言って自転車で近くの市内の音楽店をいくつか一緒に回らされた。何を買いたがっていたのかは覚えていないが2、3件回り、次の店へと向かっているだった。疲れた僕は道を間違えたふりをしてそのまま帰った。暑かった。僕は彼が来るかもしれないと思って玄関の鍵を閉めずに昼寝をした。彼は来なかった。

 うんざりするような暑さに見舞われると、そんな数年前の夏のことを思い出すことがある。

おわり

 それから夏が明けるまで、僕とOは会わなかった。僕は相変わらず予備校の夏期講習にはほとんど顔を出さず、秋の講習も同じような具合だった。夏が終わるとOの志望校は地元の旧帝大理系学部じゃなくて都内の私立大学文系学部に変わっていた。

 僕は勉強も受験もすることなく、無気力に残りの半年を過ごした。Oは前みたいにサボりに来ることが減った。結構勉強を頑張っていたのかもしれない。

 彼は大学一年生になった初めての夏、帰省のついでに僕のアパートを尋ねたことがあった。僕はその時すでに実家に戻っていたのでアパートはもぬけの殻だった。あれから携帯を変えたりしたうちに彼の連絡先も無くしてしまった。熱に浮かされて買ったベースギターも実家に置いたまま僕は上京した。あまりに弾かないのでネックは反り返っているかもしれない。そんなことを思い出して、僕は当時と同じようにきのこ帝国を聴いている。彼は聴かないだろう。

(2023年7月17日)