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ブログという名の文体練習

なぜわたしはこんなに悪文を書くのか

 ニーチェの自伝的著書に『この人を見よ』というものがある。1888年ニーチェ44歳の時の著作であり、岩波文庫から邦訳も出ている。この本の目次は以下のようになっている。

  • 序言
  • なぜわたしはこんなに賢明なのか
  • なぜわたしはこんなに利発なのか
  • なぜわたしはこんなによい本を書くのか
  • 悲劇の誕生
  • 反時代的考察
  • ……(以下、彼の著作名が続く)

 

 本文の大半を多くを占める著作解説パートはともかく、冒頭の3章はよくこんなタイトルで本を書けるな、と呆れ半分で感心する——もっとも僕はニーチェの著作をあまり楽しい気持ちでは読めないが。

 僕も何かを書くことに恋々としている。高校生の頃は短いエッセイを書き、いつか哲学書を書くことを夢見た。大学に入った頃は誉めそやされるような小説を生み出すことを夢想して、実際はバイト先で広告漫画のシナリオ作成に追われた。小説を書くことを半ば諦めた今は読むに堪える詩を書き上げたいと思っている。これらをそれぞれ哲学期、小説期、現代詩期と呼ぶことにする。

 哲学期以前の僕は書くことに何のこだわりも持っていなかった気がする。哲学期の関心は「なんのために生きるのか」だった。そんな考えに僕を誘ったのはそれまで自分の身に降りかかったことの数々だった。高校2年生から3年生の夏まで僕は大学受験塾に行っていた。その間、毎日ノート1ページの作文を書き、先生に一言コメントをもらっていた。最初は新聞の社説要約と感想文からスタートし、1冊目が終わった頃には好きに書くようになっていた。社説要約をしなくなったかわりに、日記的な内容から一般論に寄せた形式に着地させる形式を取ることが増えた、と思う。

 自分の文章を褒められた経験は嬉しかった。特に哲学期は(きっと今見ると耐えられないような)人生観を提示するような文章を書いていた。それを考えると、きっと褒められたのは内容ではなく、形式などだったのかもしれない。それでも当時の僕は生き方を肯定されたような気がしたのだろう。

 大学に入った僕は小説期を迎える。小説期と言っても入学後1年はプロットを書くだけ書いて作品を完成させたことはなかった。学部2年の秋に書いた8,000字程度の小説、結局それが全てだった。この時期はバイト先の企業で広告漫画用のシナリオ作成と外注先の企業が書いたネーム・カラーの確認業務に追われていた。小説期になって突き当たった問題がある。「誰に向けて書くのか」という問いだ。哲学期のエッセイは先生一人が読むものだった。広告漫画のターゲットは全国の高校生だった。それら対象読者を想定することであれこ適切な形式や表現を考えることができた——それでは、小説は? ……。白状すると根気強く長編小説を書き続けるのは僕の性に合わなかったのだろう。

 学部1年生の頃、仏語の先生から彼女の専門、マラルメの話を聞いた。サルトルも田邊元もマラルメについて書いているのを見た——もっとも彼自身も、誰かに語られる彼も全く理解できなかったが。世界に横たわる巨大な秘密、マラルメ。そんな彼との邂逅、あるいは大学入学前に意味がわからなかった小林秀雄訳『地獄の季節』、いまだに時折話すパブロ・ネルーダの映画「イル・ポスティーノ」、ここら辺が僕の関心を詩に近づけた。大学で詩の授業を履修するようになった。変わった授業だ。先生は現代詩を書くことをモットーにコミュニティを提供する。詩の書き方についてレクチャーや指導が入ることはない。小説と違って、詩の方が幾分僕には向いていたと感じる。それは幸福なことだ。現代詩期に入っても「(が!)誰に向けて書くのか」という問いはオブセッションのように付き纏っている。むしろ現代詩の歴史・性質上、これは本質的な問いの一つなのかもしれない。

 最近こうした経緯を振り返る中で不思議に思ったことがある。何かを書き始めた時、すなわち哲学期のモチベーションだったのは自分の人生、自分の考えであり、多分に露悪的なものを含むものだった——それは今の僕が蛇蝎の如く嫌うところになってしまった。僕を書くことに導いたもの、それを今の僕は可能な限り遠ざけようとしている。

 僕の生い立ち、人生上の(社会的に意味のある)経験を露骨な形で作品にすること、そしてそれを読まれることを良しとしないのは合評形式という授業の性質と、第一の読者となるのが友人たちという環境的要因もあるだろう——そんな作品にケチはつけにくい——たとえどれだけ詩として稚拙でも。僕の気質も変わったのだろう。そんなものを書くより、できるだけ綺麗なものや楽しいものを書いてコミュニケーションを豊かなものにしたい。専攻こそ政治思想・政治哲学だが今の僕は思想にも、哲学にも、あまり関心はないのかもしれない。

 唐突だが、きのこ帝国というバンドについて少し話をしたい。僕が哲学期にもっともよく聞いた日本のバンドの一つがこのきのこ帝国だ。何度も何度も繰り返して聞いた思い出の1枚に彼らの「フェイクワールドワンダーランド」がある。

 彼らの初期の作品は音楽的にはシューゲイザー的、歌詞の面では負の感情を振りまいたものだった——特に歌詞の面で、「フェイクファーワンダーランド」以前以後という語られ方は成立すると思う。作詞を担当する佐藤は音楽ナタリーのインタビューでこうした路線変更に「幸せになっちゃったんだね」と言う人がいたと話している。作風の変化が実際に佐藤の幸せ云々だったかどうかは問題にはしないが、そういう見方はなんとなく分かる気がする。僕が露悪的なことを書きたくなくなったのも、幸せになったからなのかもしれない——もちろんこうしたものの見方は一般化できないが。

 僕は時々、ものを書く。そしてそれよりうんと長い時間、ものを書かずに過ごす。書かれたものだって大した文章じゃない。作文ゾンビ。僕は死んでいることに気づいていないのかもしれない。それでも書くこと一般にしがみついていてダラダラと悪文を吐き出し続ける——そんなことすらここに記すように。